木を削って生きている
2010/06/09
呪い人形ではない。仏さまの頭です。地蔵菩薩。僕のプロフィールに記載されている「趣味:仏像彫刻」。たまにはこの話でも書こうかと。
始めたのは確か2年前の3月くらいだったろうか。或時突然「俺は仏を彫った方がいいのではないか」と思い立ち、検索して一番近場でヒットしたのが中目黒の仏像彫刻教室だった。なんで思い立ったのかはよくわからないのですが、たぶん小学校の頃にやった図画工作のような、リアルな「もの」を削ったり切ったりする感覚がどうしても欲しくなって、そんなことをできる場を探していた気がする。じゃあなんで仏か。「火の鳥」のガオウが好きだったから笑
普段はデジタルと空気振動を相手にしている身ですからね…雲の類以外のものの感触が少し前までどうにも欲しくて、靴を作ってみたり彫刻してみたりしている。今は野菜もか。けど何気にすべてつながっているような気がしている。
なかなか時間が無いので月に一度しか行けないのだが、それでも先生曰く、「刀の使い方が上達している」とのことです。ヤッタ。とはいえ写真に撮ってみると…やっぱへたくそだな~。。。二人いる先生はお二人とも体も大きいのだが、やはり若いころからの修行で鍛えられているためか、特に手がものすごく厚くて大きい。そして彫刻刀を手に取るとまるでチーズの如く(!)生木をさくさくスイスイと削っていく。木目にはもちろん法則性はあるのだが、やはり生き物なのでそれがランダムに入り組んでいる。複雑に絡みあった木目に逆らわずにスイスイと切れるようになるには、やはり理屈でなく「経験」だそうです。はい。千年以上も古くから伝わる、世界最古の日本の木の文化。奥の深さはダテじゃない。
「削る」感覚について。通い出した当初は彫刻刀で削っていく感覚が何かとても「えげつない」ものに思えたのだった。物言わぬ生木をザクザクと執拗に念入りに、切る、削る、彫る。生きるためにいただくのではなく趣味嗜好のために切り刻む。根も葉も無い言い方だけど、人間の文化活動っていうのはそういうことだ。エコだのロハスだのなんだのと言っても結局は胡散臭い自己弁護にしか過ぎない。ただその中で、自分より大きなものに生かされているということを感じる「センス」は捨ててはいけないと思っている。小学校の頃と比べて、木を削る感覚は自分の中で少しだけ意味が変わっていた。
とにもかくにもブッダヘッド、仏頭まで削ったので次はいよいよ小さい仏像を一体作ります。なんとか自力で形にできるまでは続けたいものです。そんな暇あったら曲作れ、って?言わないで~。
あ、仏像教室に興味がある方はこちらへ↓
侊心会 仏像彫刻・木彫刻教室 http://www.kanhoudou.co.jp/~school/
先生方お二人ははまだお若いのだが、ありがたいことに同じ表現者として俺のこともなんやかやと応援してくれる。今度ライブペインティングならぬライブ彫刻やりましょう!という話になっておりますがww 実現したら面白いな。。。オリジナル過ぎる活動形態だ笑(やまがみ)

うちの母も仏像彫刻やってました!
「今度光背彫らせてもらえることになった」とか喜んでたような記憶が。
20年ばかり前の話ですが。
今は粘土で球体関節人形作ってます。
左右対称に彫るのって、難しいんですよね。あと、球体は至難の技。私は彫塑苦手だったので、羨望。命が吹き込まれるとよいですねー。
命をいただいて生きている。最近切に思います。そしてちいさい人に伝えていくこと。
>ドンペリさん
仏像の次は人形とは。。。お母さん凝り性ですな。俺も次は鎌倉彫りあたりを狙いますかな?
>はな
初めから滑らかな球体を目指すのではなく、ポリゴンを意識すると良いと言われました。ってそのポリゴン風に作るのがまたムズい。。。
全てが経済活動なら結局自分の美意識信じていくしかないですよね。
侊心会の仏師は夜9時過ぎまで作業してて機械音がうるさくて迷惑
どうにかしろや
はあ?別に仏師じゃねえし。文句あるんだったら直接事務所に言いに行ったら?ここに書きこむことが意味不明。